Blog, 倉岡の[ひとりごと]
モノを捨てる決心┃自分の手で責任を持って。
片付ける際に生じる
『モノを捨てる』という場面。
捨てようかと思いつつ
なかなか決心がつかない。
そういうこと、ありますよね…
捨てることへの罪悪感
なかなか決心がつかない。
これには、ちゃんと理由がありますよね。
□ まだ使えそう
□ できれば使いたい
□ いつか使えるかも
□ 高かったから
□ プレゼントだから
これらに共通することは
[モノとして、まだ息をしている]
ということではないでしょうか。
例えば
賞味期限が切れた調味料や
カビが生えた洋服などは
残念ですが、もう
[モノとして、息絶えた]
と諦めがつきます。
でも [まだ息をしている]
そう感じるモノには
身勝手な都合で処分する。
そんな罪悪感があるような気がします。
自分の手で責任を持って
前職で、福祉の部署に
配属されたことがありました。
そのときに、経験したのが
亡くなった方のアパートの引き払い。
(特別な事情がある場合のレアケースですが)
部屋のモノ全てを処分します。
大事な人に引き継ぎたい、大切なモノも
きっと、あったと思います。
でも、そんなことは考慮されることなく一括処分です。
他人の手で、事務的に。
仕事とは言え
とても空しい業務でした。
カタチあるモノは
いつか、誰かの手で
処分するときが来ます。
誰かに譲ったとしても
その日は迎えるでしょう。
それならば
自分の手で責任を持って
『モノを捨てたい』
自分の意思で持っていたんです。
手に入れ、喜んだ瞬間があって
使って、役立った頃があったんです。
もちろん抵抗はあります。
[モノとして、まだ息をしている]
のですから。
でも、だからこそ
無関心に放置するのではなく
息絶えるのを待つのではなく
誰かに処分を委ねるのではなく
今までの感謝の気持ちを添えて
自分の手で『捨てる』
「手放す」から
『捨てる』に
これまでは 「手放す」
という言葉を使ってきました。
でもそれは
罪悪感から逃げている
象徴だった気がします。
だからか「手放す」ことに
苦戦する場面が多かったです。
自分の手で責任を持って
『捨てる』
そう決心してからは
魔法にかかったように
さくさく「手放す」ようになったんです。
一緒のトキを過ごした
愛おしいモノたち。
その役目を終えたとき
放置しておきますか?
誰かの手に処分を委ねますか?
それとも、決心して
自分の手で捨てますか?
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